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準体法

準体法とは連体形で名詞節を表す方法である。現代日本語ではだんだんとすたれていったが、古語では連体形でそのまま名詞を形成していた。

(1)
a. 走るをよしとする。
b. 走るのをよしとする。

(1a) の「走る」が連体形で普通は「走る女の子」のように名詞を修飾する時に使われる。しかし古語では (1a) のように「走る」のみで名詞句を形成していた。このような使い方を準体法というが、現代日本語ではこの準体法が今でも使われているが、日常的には国語学の人たちがいう準体詞である「の」をつけて名詞化する。言語学ではこの「の」は一般的に形式名詞と言われている。つまり現代日本語では (1b) のように形式名詞の「の」をつけて名詞化しているのである。 (1a) の準体法から (1b) の準体詞への変化がどのようにして起こったかはいろいろな理論があるが、一つに古語において終止形が消えて連体形が終止形の役割を担うようになったので、準体法という余分な連体形の手段が消えていったのだという考え方がある。

(2)
a. 走る少年は太郎だ。
b. 太郎は走る。

(2a) の「走る」は連体形で (2b) の「走る」は終止形で同じになっている。このように (2a) の「走る」が (2b) の「走る」の機能を帯びてきたので、 (2a) の「走る」がもう一つの連体止めの名詞化の機能を失ったというのが一つの理論なのである。しかしそのように考えると形容動詞の場合に問題が生じてくる。形容動詞では終止形と連体形の同一が生じていない。

(3)
a. 静かな少年が太郎だ。
b. 太郎は静かだ。

形容動詞の連体形は (3a) の「静かな」で、終止形は (3b) の「静かだ」である。形容動詞の場合は終止形と連体形の融合がなされていない。すると準体法は現代でも残っていると仮定できるが、実際には

(4)
a. *太郎は静かなを不思議に思う。
b. 太郎は静かなのを不思議に思う。

(4a) のように連体形の名詞化はできないのである。つまり終止形と連体形とが融合していない形容動詞でも融合している動詞や形容詞と同じく、名詞化には「の」が必要となってくるのである。



by miyakmae | 2019-05-13 07:39 | 言語 | Comments(0)

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