日本語の「やりもらい動詞」は視点の置き方によって表現の仕方を変えている。
(1)
a. 太郎が次郎にお金をあげた。
b. 太郎が次郎にお金をくれた。
(1a) の視点は主語の「太郎」にあり、 (1b) の視点は話者となんらかの関係にある間接目的語の「次郎」にある。このように日本語では視点の置き方により表現の違いが生じる。
(2)
a. 太郎が次郎に電話をした。
b. *太郎が私に電話をした。
c. 太郎が私に電話をしてきた。
(2a) は視点が主語の「太郎」にあるが (2b) は視点が「私」にあるにもかかわらず述語が「電話をした」と客観的な表現になっているので不適切な文となってしまっている。間接目的語に1人称が入る場合には (2c) のように「電話をしてきた」としなくてはいけないのである。しかし「やりもらい動詞」の場合には視点の置き方によって述語が両方とも変化するのに (2) の場合は1人称の場合しか変化しなく、それ以外はニュートラルな無標となるのはなぜなのだろうか。