「ておく」は単独の「もくろみ動詞」という分析よりはもっと広くaspect の中の prospective aspect と してとらえ、stative aspect との対比で考えた方がよいような感じがする。
stative aspect で状態を表しているのが (1a) で、動作主主体の prospective aspect が (1b) である。もしかすると、これらにさらに自他交替の「いる」がかかわってくるのかもしれない。
将来のために「やっておく」のが prospective aspect で、それを時間軸を切って現在の状態を述べるのが「てある」の stative aspect で、さらに動作を全く抽象したのが「ている」という自動詞表現である。「ておく」はこれら一連の出来事のかたまりの中の1局面なのかもしれない。